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お疲れ様でございます。
コンバインド主任です。
ブログを書くのは久しぶりな気がします。
なので、その間の出来事について、ちょっとさかのぼってかきたいと思います。
九大戦ですが、雪上のジャンプとクロカンはデビュー戦でした。
上の平が嫌いだと、先輩方や先にINした同期とか後輩がいってたので、覚悟していきました。
が、わたしはそんなに嫌いではなかったです。 急な登りが苦手なわたしにとっては、ゆるめのダラダラ登りがずっと続く上の平はそんなに嫌ではなかったです。まぁたしかにそのあと滑った南原の方が楽しかったですが。笑
これでわかったことは、私の場合は持久力よりも太ももの筋肉が弱い事の方が深刻だということがわかりました(オフシーズンのトレーニング不足)。ということで、太ももイジメを開始致しました。
肺活量の件ですが、こちらはシーズンでだいぶ強くなったようで、この前久しぶりにこだりょう外周走ったら、全然フルマスクできつくなくいつものペースで走れました。シーズン前はそのペースでは500mすらフルマスクで走れなかったので、これは成長だと思います。まだまだではありますが。
九大戦の話に戻ります。
なんとかフリー5kmを走りきりましたが、最初から初めて色々塗った超滑る板についていけず、超後傾でじたばたし、全くスーパーが使えず、ラピッドも焦りからバタバタになり、抜かされる度に焦ってバタバタし、終盤でバテきったレースとなりました。が、1つよかったのは、野沢にINしてから、クイックのきつさが全然かわったことです。自分の中でクイックが1段階脱皮できたように、レース中も感じていました。直前の下川で、先輩にクイックのフォームを指摘して頂いてから、何かが変わりました。ありがとうございました。
結果は14位で、ポイントは程遠く、しかも東北のコンバの1年に負けるというかなり情けないものでした。コンバの1年というところがまた悔しいです。
ここからはジャンプについて。ですが、雪上初めてのミディアムヒルにびびりまくり、全く動けずにおわりました。
同期と唯一棄権しなかった九大の強者1年生が、軽々と30m飛ぶ中、1人で17m付近をさ迷っているのは非常に情けなかったです。
危ないからそのまま乗り降りで、というコーチの指導の元、そのようにしようと決めてはいたもの、そんな同期を前にして、動かなきゃという変な焦りから、中途半端な動きにつながってしまい、スペシャルジャンプの1本目で大転倒しました。怪我こそなかったからよかったですが、中途半端な気持ちは怪我につながるとはこういうことだと、実感しました。
コンバインドのスタートは、前の2人の約2分30秒後のスタートでした。同期ジャンパーが怪我で棄権していたため、女子は後藤さんと二木さんとわたしの3人でした。今の時点でどんなサイズの台においてもわたしよりずっと飛ぶ2人を前にして、しかもフリーのタイムも私よりずっと速く、どういうマインドでのぞめばいいのか、正直わからないままの本番となってしまいました。コンバインド後半のクロカンは、ずっと1人でしたが、コースの脇にいたほとんど全ての方が応援してくださったおかげで、めげずに滑りきることができました。が、出し切れたかときかれると、全力では頷けない、そんなレースでした。
この後はそのまま表彰式でした。
出場者数の関係から、参加賞の銅メダルを頂きましたが、どんな気持ちでうけとっていいのか分かりませんでした。
リザルト的に絶対に喜んではいけないのは分かっていましたが、表彰式の場では、一橋の女子ジャンプを切り開きましたで賞としてわりきって受け取りました。
スペシャルでもコンバインドでも、本気で戦って、優勝した後藤さんと二木さんは、本当にキラキラしてました。
わたしも本気で戦って、憧れの2人と一緒に自分の実力で表彰台にのぼりたい。
そして、圧倒的優勝を果たした、いつも自分たちの1番近くにいながら、果てしなく遠いところにいる先輩に少しでも追いつきたい。
そんな気持ちでいっぱいでした。
次の日はリレーでした。自分がリレー選抜に入れるのかどうか分からないほどの、後輩との実力差だったので、その分責任を重く感じていました。
萌果先輩から、大阪についで2位でバトンをうけとりました。スタートリストをチェックした際に大阪の2走の方は、フリー5kmのタイムでは私が勝っていたことを確認していたので、なんとか差を縮めたいと思っていました。が、前に見えているのに、なかなか距離が縮まらない。こいでもこいでも縮まらない。なんで、ってずっと思いながら追いかけてました。途中で名古屋の同期に抜かれ、ゆきの先輩には前との差をつめられずに、3位でバトンを渡してしまいました。ゆきの先輩が2位で帰ってきてくださった時には、ごめんなさいとありがとうございますで、泣きたい思いでした。
リレーに関しては、体力的には120%出し切れたと確信しています。でも、あとで区間タイムをみると、阪大の2走の方に負けていました。気持ちの面、今までの準備の面、どちらでも、勝てなかったと思いました。
リレーは準優勝でしたが、完全に先輩2人に頼りっきりの結果となってしまい、また後ろめたい気持ちで表彰式を迎えることになりました。大好きな2人と一緒に走れたことは、本当に嬉しかったです。だからこそ、自分が足を引っ張ったことが余計に悔しくもありました。
立派な成績をだされた先輩方、自分の努力で賞を勝ち取った同期や後輩、そんな中、情けないリザルトで空虚なメダルや賞状ばかり残った自分の状況が、皮肉で情けなくて悔しくて、どうしようもない気持ちでした。
インカレでは、自分も皆も納得出来る、心から笑える結果をだすんだと、心の底から思いました。
最後の方が暗いブログとなってしまいましたが、わたしにとって次への大きなモチベーションになった大会でした。
しっかり目標を見据え、前向きに取り組んでいきます。
九大戦にかかわってくださった全ての方に、感謝申し上げます。
こんな長いブログをここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
コンバインド2年
あやな
スキーができるのは、たくさんの人の支えがあってのことだということを、再確認いたしました。自分の行動に責任をもって、この状況に、対応していきたいとおもいます。
インカレまで、今できることを、やっていきます。