アナロジー
旭岳に来て一週間が経ちました。2クールくらいやると体も慣れてくるものです。
今旭岳でひそかに流行っているものがあります。それは、勉強です。人それぞれ事情はありますが、皆(?)昼寝以外の時間は本やらPCに向かって(は)いるのです。
自分もご多分に漏れず、「国際組織法」の教科書を読んでいるのですが、つくづく部活は、国内政治よりは国際政治の論理に近いと感じます。
学問的にはだいぶ誤謬があるかと思いますが……………
国内政治は、人民が明示的あるいは黙示的な、何らかのコミットメントにより、主権者の法や政治的決定に従う。
その法や決定は社会通念上の正当性や合理性があればよく、人々は半ば強制的にそれに従って行動せざるを得ない。(「国民」を辞めることはまず不可能)
一方、国際政治の舞台において主要なアクターである国家の行動を規律する代表的なものは条約である。条約は二つ以上の国家間の「合意」に基づいて当該国家を規律スル。また国際組織においては国家の(自由)意思に基づいた加盟や脱退がなされる。すなわち、条約による国家間の関係や国際組織を維持・発展させるためには個々の国家の自発的、主体的な協力と行動が求められるのである。
いかに条約や国際組織法に合理性があったとしても、個々の国家の自発的主体的な協力がなければ、条約や国際組織(国家間の連帯)は存在し得ない。現に、中央条約機構や東南アジア条約機構は国家の連帯意識の欠如により解散してしまったという。
合理性、いわば理屈で納得がいったとしても、間主観的な価値の共有や自発性や主体性といった「心」や「精神」とでもいうべきものがなければ、部活は成立しない。
いうまでもなく心や精神といったものは繊細で、曖昧で、捉えどころのないものです。だから難しいのです。しかし、そんな曖昧な繊細なものだからこそ、それが曲がりなりにもひとつにまとまったとき、大きな力が感動が生まれるのでしょう。
明日は雨か?
三年 佐藤