宝物
お久しぶりです。
明日から社会人のコンバインド4年生です。
これが自分のスキー部での最後のブログになるみたいで、実感ないようなあるような。
思いつくこと、伝えたいことを書き綴っておきます。
自分は最後まで、中身のある結果をほとんど出すことが出来ずに終わってしまいました。
ジャンプのころは、人数の関係でポイントこそ取れていましたが、実は1年生以外に勝ったことないです。クロカンでは1年生にも全然勝てませんでした。
最後のブログまで暗くする気はないので、ここからはいつもとは違います。
この結果も含め、この4年間で思い知ったことは、
・勝てると信じてないと絶対に勝てない
・自分が勝ちたいから、自分の勝利のために頑張ることで強くなる
・頑張り続けるには、競技が好きという気持ちが必要
当たり前な人からしたら当たり前だと思います。
でも自分はこれ全部できませんでした。
クロカンは最初から最後まで苦手だったし、後輩、とくに理帆に勝つことをどこかで諦めてしまっていたし、自分よりすごい人たちに勝てるはずがないって思ってました。ジャンプも怪我してからは、ずっと恐怖との闘いでした。
そして、ずっと他人のために頑張ってました。
この、他人のためにっていうのは、私の場合、自分のためにじゃ頑張れなかったからです。競技はもちろん、陸トレも自主トレもしんどいし、そこまでして勝ちたいとは、正直思えませんでした。だからずっと、部のために、お世話になってるたくさんの人のために、これをモチベーションにしてきました。
実際、自分的には、これでしっかり頑張ってこれたと思います。部活の日々の練習や合宿はもちろん、自主トレも1年のころから同期の中で一番やると決めてやってきました。4年目に靭帯切手からはそうはいかなかったけれど。
前十字の再建手術のあとは、正直、リレーがなかったら絶対に復帰してませんでした。理帆と沙和がいたから、自分がいないとリレーが組めないから、何とかリレーのためにと思って頑張れました。復帰したとて、今まで遅かったのがさらに体力もない状態で、個人フリーなんて後輩たちにぼろ負けしました。悔しいとか情けない、とかよりも、リレーで迷惑かけたらどうしようという気持ちの方が強かったです。
その気持ちでなんとかシーズンを走り切りました。やっぱりクロカンはどうしても好きになれなくて、初めてのクロカンだけのシーズンは、この4年間の中で一番つらかったです。たぶんこの怪我が4年目じゃなかったら、辞めてたと思います。
そして迎えたインカレのリレーでは、3人で話し合った結果、三走をまかせていただきました。最後くらいアドレナリンとか出て楽しめるかなとか思ってたけど、最後の最後までちゃんとめちゃくちゃきつかったです。秋田大が後ろからせまってくるのは怖すぎました。というか本当は逃げ切れると思ってなかったです。
でも、周りの部員の全力応援のおかげで、なんとか逃げ切れて、結果3位入賞していました。
初めてのインカレでのメダルでした。ずっと憧れてて、去年はわたしが靭帯切ったせいで果たせなかったことを、挽回できた気がして、そして、初めて中身のある、本当に喜べる賞をもらえた気がしました。憧れの場所に、理帆と沙和と立てたこと、言葉に表せないくらい、嬉しかったです。
もちろんタイムを見ても、理帆と沙和におんぶにだっこなんですが、しぬほどの図々しさを承知の上で、自分が復帰したから、この3位がとれたって、思えました。
ここまで書いて、つまり何が言いたいのかというと、
自分の勝利のために頑張らないと、強くなれない。だけど、自分の勝利にこだわれない人は、他人や周りを頑張る理由にしても、いいんじゃないでしょうか。もちろんそれじゃ自分の勝利のために頑張ってる人達よりは、早く頭打ちがくるし、かなわないと思います。でも、だからといって、競技が好きになれない人が辞めなきゃいけないわけじゃないと思います。
辞める勇気がなかっただけかもしれないけど、自分はこの4年間、怪我に屈しながらも最後まで続けたという事実は、自信になりました。そして、最後にリレーでメダルを取れたことは、続けたからこそ得られた結果で、その時に、4年間頑張って、本当に良かったと思いました。何より、競技がどんなに好きになれなくても、そのために頑張りたい、居続けたい、そのために貢献したい、と思えるような部活、つまり、部員たちに出会えたことが、すごく幸せなことで、すごいことだと思います。
リレーに出れたことも、3位になれたことも、理帆と沙和という強い女子2人と自分っていう環境だったからこそのことで、まあ運がよかったといわれたならばそれまでです。そして、頑張ったかどうかを評価するのは他人と結果です。でも、甘すぎるといわれるかもしれないけど、この4年間、部活、必死で頑張りました。競技も、競技以外のことも。
毎回懺悔ブログになっていたので、最後のブログくらい、自分のこと褒めてみます。4年間、あれだけ怪我しながら、よくこんなきつい競技続けました。えらい。
そして、こんなきつくても、続けたいと思わせてくれたスキー部の皆、本当にありがとうございました。
こんなに皆が皆を思いやってて、仲間のために全力で頑張れる、そんな部活に出会えたこと、そんな素敵なスキー部の皆と一緒に過ごせたこと、これ以上幸せなことはないと思います。自分にとって、誰一人として欠けてはいけない存在で、スキー部が、スキー部の皆が、本当に大好きでした。
今の後輩たちや、未来の部員にとっても、スキー部がそう思えるような部活であればいいなと、心から思っています。
ラストブログは簡潔にするつもりだったのに、またまとまりのない長文になってしまいました。
あと少しだけ、書かせてください。
スキー部に入って、その選択をしなければ出会うはずのなかった、たくさんの人に出会いました。そして、大切な人が本当にたくさんできました。
特にスキージャンプでは、大学からの新規参入が基本的に想定されてない世界でありながら、たくさんの方々のおかげで、自分たちの競技生活が成り立っていることを実感しました。大学生を受け入れてくださることは、そう簡単でないことは想像に難くないです。それでも、私たちを受け入れてくださり、たくさんのことを教えてくださり、お世話になったたくさんのスキー関係の皆様に、心から尊敬と感謝の気持ちをお伝えしたいです。
最後に。
スキーに限らず、大切なことをたくさん学ばせていただいたコーチの皆様、大学生という難しい存在にもかかわらず私たちをあたたかく受け入れてくださった各地の選手・チームの皆様、私たちの部活を支えてくださったOB・OGの皆様、合宿や大会で、切磋琢磨しながら支え合ってきた他大の選手の皆さん、自分をスキー部に引き入れてくれて、たくさんの愛で育ててくださった先輩方、こんな自分についてきてくれた、頼もしい後輩たち、そして、ぶつかりながらも、ずっとそばにいてくれた、心強くて大好きな同期達、そして、こんな無謀な挑戦をずっと応援して見守ってくれた家族。この4年間で関わってくださった、お世話になったすべての方に、心からの感謝をお伝えしたいです。
スキー部で過ごせたこの4年間は、私にとっての一生の財産です。
4年間、本当にありがとうございました。
末筆ながら、一橋スキー部、そしてスキー界の、ますますの活躍と発展をお祈りしています。
棚村綾奈