春
こんばんは
今日は暖かかったですね。鹿角でも10度近くあったみたいで、もう春ですね。一昨日は吹雪の中リレーの熱き戦いが行われていたのに。
明日から3月ということで世の中でも様々な変化があるのではないでしょうか。そういえば某エントリーの多くが開始されるのも明日からかもしれませんね。3年生のみんな、ほどほどにがんばってね。4月でも5月でももしよかったらご飯いこうね。
というわけで、2月最後の今日中にインカレの個人的な振り返りをしてみたいなと思いブログを書くことにしました。
今年の会場も鹿角。私のインカレ4年間は鹿角に始まり鹿角で終わりを告げました。
種目の距離もコロナの影響で1年ずれているため、1年の時走ったクラシカル10kmにフリー5kmを3年後に再び走ることとなりました。全く同じ組み合わせで、同じコース。クロスカントリーはコースによってかなりパフォーマンスが変わったりするのでここまで同じ条件で再び走れるのは何だか運命を感じるというかじーんとしました。
クロカン競技初日は10kmクラシカル(女子2部)。例年は学チャンで10kmの洗礼を受けてからインカレ10kmを走るのですが、今年は九大戦と丸被りしていたため大会としてはインカレでシーズン最初で最後の10kmとなりました。きつい。1周回ってからのあと1周がきついですね。ワックスはばっちりでした。某大学のコーチに塗っていただいたのでそれはもちろんばっちりなのですが、子供っぽいことを言うと、塗ってもらう前に自分で考えた組み合わせがばっちりだったのも個人的に嬉しかったです。3年前と同じようなコース状況だったので、真似しただけではありますが。コーチの方ありがとうございました!
特にクラシカルではグリップのあたりから戦いが始まっているのが面白みでもありますよね。国体でも私にはよくわからない種類を色々混ぜてばっちりに仕上げていただいたし、インカレでも。国体インカレでもばっちりとまりました。あとは、純粋に体力とメンタルが足りなかった。これはもう今の私の現状で受け入れるしかありません。
女子クラシカルは午後で他の競技が終了していたため、全部員に応援してもらえて本当に嬉しかったです。ただ、もう本当にきつかった。修造が「ラストですよ、もうクラシカル走らなくていいんですよ!」と言いながら並走してくれて、めちゃくちゃ心に響きましたが、もう「うーーー」としかいえませんでした。。。 (りほ、おめでとう!)
25日はフリー5km。一橋ツーピーを着るのもこれが最後かと思うと身が引き締まりました。私を良く知ってる方ならよくご存じだと思いますが、私はある言葉にすごく弱いんです。強いの間違いかしら。
この日はかなり覚悟を決めていました。アップをしていると、なんだか1年の頃みた風景というか心情が重なってなんだかあつくなりました。
スタートはりほの真後ろで15秒後スタート。本来なら先輩として後輩に背中を見せたかったというか見せるべきではあったけれどシーズンインしてから一度もりほの前に行くことはありませんでした。夏の時点で、りほのローラーの成長振りをみて、ちょっとこれは厳しいかもと思っていましたがシーズンインしてから予想は的中しました。
そしてインカレ。正直私には宇宙人ツーピーしか視界に入りませんでした。抜いたり抜かれたりの繰り返し。メンタルが弱いといわれそうですが、正直後輩がいなかったらここまで頑張れなかったと思います。
あとは応援。一橋の部員はもちろん、4年間共に戦った他大の同期に喝を入れてもらい頑張れました。こんな風にいったらよくないですが、レース中って本当にきついんです。苦しくて足がパンパンでもうやめちゃおうかな、やめたい!無理、という心情と体力と戦っているのです。そんな時に応援してもらえると本当にぎりぎりのところで、まだ頑張ろうと思えてくるのです。ビデオを撮りつつ並走しつつ応援してくれた健ちゃん。そして、滑っていると「下りに入ってから休めーーー」という昔の声も聞こえてくる気がして、、、
ゴール直後に倒れこみました。本当に倒れこみました。出し切るってこういうことなんだなと。影山先輩がラストレースでわかるよ、出し切るってこんな事なんだって、と言ってたっけ。1年生の頃から結構レースには出てますが、その中でもまあまあ満足できるレースなんて一つか二つでした。2年の名寄でかなり覚悟を決めたのは覚えていますが、今回のラストレースが過去一気持ちの良いレースであったことは間違いないでしょう。
あやな達がゴールで出迎えてくれたのも嬉しかったです。皆さん応援本当にありがとうございました!
そして、板も。本当にありがとうございます。下りが本当に気持ち良かったです。入賞できたのは応援と板とライバルのお陰です。
体力だけじゃない、それがこのスポーツの醍醐味かもしれません。もちろん体力はこの競技においてめちゃくちゃ大事ですが、コースをどれだけ知って戦略を立てるか、板をどうするかといったことも大きく影響してくるのが面白いんです。陸上で走ったならレースにもならない相手と、五分五分とまでは言わなくてもスキーでは戦えるといったところでしょうか。
タイムについては、18分切りは叶いませんでした。あと3秒。これは1年の頃私が京大のきんとう先輩に負けた数字でもありました。1.6秒。ゴール付近に誰も走っていなかったのでレース中には分からなかったけれど、後から迫っていた数字。たかが数字。けれどこれが勝敗を分けるのです。
クラシカルで逆の意味でライバルたちに数分の差をつけてゴールした私が言えたことではないかもしれないですが、1秒、コンマ1秒にこだわって。そう後輩たちに伝えたいです。
酷な言い方だけれど、リザルトに出てくる数字の裏側の物語を知っているのは身内だけ。自分が怪我していたとか、不調だったとかはリザルトを見る多くの人には見えません。速いかどうか。シンプルだからこそ面白くもあるのですが。
どちらかというと逆の立場にいた私が言うのも変かもしれませんが、1周回って4年になってそういう側面も痛感したというところでしょうか。
最後に。言い訳というか感想というかわかりませんが、九大戦で負傷してから少し不安がありました。その後東京に戻って卒論と戦っていると、日に日にぶらんぶらんというかぽきぽき音を立て、がくがくになっていく膝を見て絶望した時もありました。皮肉なことに、苦手なクラシカルの動きはかろうじてできても、大好きなフリーの動きはできないという現実。
その後1部校の話を聞いて、怪我と常に戦っていることを知り、スキーが少しできないとか少し弱気になっていた自分の甘さを恥ずかしく思ったりもしました。甘えだったなと。
ただ、厳しいと思っていただけに2月にフリーが滑れるようになった時は純粋に嬉しかったのです。
大好きなコースで大好きな走法。頑張れない訳がありません。ゆきののラストだけにゆきが降っていましたが、スタート時には澄み渡る空が。レース中は。。。ですが、ゴール後には超絶爽快感しかのこっていませんでした。
大変、3月になってしまう。この辺で失礼します。
応援ありがとうございました。
レースが続く人はガンバです!
4年XC