僕の生涯悩み続ける永遠のテーマ
「私には夢があります、
故郷の島に橋をかけることです。
私には夢があります、
一生信じあえる仲間を作ることです。
私には夢があります、
その仲間とたくさんの人を幸せにする建物を作ることです。」
そう高らかにサクラは唱えるのです(『同期のサクラ』より)。
同期のサクラ
4分間のマリーゴールド
おっさんずらぶ in the sky
この3本が真面目な学生生活の癒しです!
お疲れ様です、3年のとりやべです。
11/8(金)
今日のアルペンは、MG-AOI trainerのマンツーマン
いつもありがとうだぉ
筋トレ
腰の具合はまあまあな具合です笑
全力の力は腰付近に入らないので、重量落として丁寧にちょっとずつまた積み上げるしかないっすね
九大戦までには必ず間に合わせる!!
ラン
これは腰の影響はほぼないので、やれてます
バイク
今日は5セットやりました
耐乳酸の身体を手に入れたいです
アジリティー
前述のように全力の力が入らない(首がすわらないような感覚)ので、力強い動きに欠ける
ジャンプ
やはり高くて思い切りの良い動きはまだまだ…
怪我から2週間が経ちました
文面はネガティブな感じになってしまいましたが、怪我をしたことで得られた気づきもあります
もっと上手なトレーニングができるようになれる気がしています
田舎の両親には元気に動けているよと少しでも伝わればと思います笑
あー…
じいちゃんのコロッケがくいて~
さて仰々しいブログのタイトルをつけたのは、ここからの話題に関してです。
「スキーと勉強の両立」です!
僕のここまでの中学1、2、3年、高校1年、大学1、2年の6年間の学生生活は全てスキーと勉強との両立との戦いでした。
中学3年の時、勉強をろくにしたことがなかったけど高校受験をしなければならず、冬の合宿でも午前中練習して、午後は宿で勉強…、など今考えれば何をしてんのかと言いたくなるようなことをしていました。結果はスキーも勉強もどっちも中途半端。幸い田舎だったため受験の倍率はほぼ1倍だったので合格できました。
高校1年時、青森高校に受かったには受かったものの運が良かったからであり、学校の勉強につけるわけがありませんでした。冬はスキーばかりしていたので、学校はしょっちゅう公欠。僕がいない期間で数学Aが終わってしまったらしく、先生に確率の問題を黒板で解くように指名された時に、128通りの樹形図を黒板に書いたのはいい思い出です。テストでも点が取れず、スキーもR35が日本に正式に適用された年で全く滑れるようになれず気づけばスキーをするのが怖くなっていました。そして逃げるように、高2からは帰宅部として勉強しました
大学1年の時、必修の科目が全て部活の練習時間とかぶり部員として活動してるのかどうかわからないままシーズンへ。シーズンを通して上手くなれたと正直言えませんでした。成人式で隣の席の女子からインフルをもらってたくさんの期末試験をバーにしました。
大学2年生の時、初めてアルペン主任として、後輩4人を連れ回して一生懸命スキーをしました。スキーは上手くなりましたが、その時期の勉強の記憶がないくらいスキーのことしか考えていませんでした。
そして大学3年生、秋学期のテスト期間にギックリ腰と体調不良で、僕の卒業シグナルの青信号が点滅しました。
1/10までの冬学期。僕がもしフル単しなければ…。
ただ、今までのようにスキーとの勉強の両立ができないようであれば、スキーが粗末な取り組みになり、きっと長い人生で後悔することになるでしょう。
腰痛でベットから起き上がれず超絶楽しみにしていた海合宿に参加できなかった時、必死に考えました、この3年生としての半年をどうするのかを。
答えはもう一度両立を目指す!
そのために勉強は毎日2~3時間帰宅後勉強する!
特に週末雪上シーズン入ったら合宿所でがっつり勉強はほぼ不可能という経験から、手を動かす系の勉強は必ず平日にやりきる!
合宿中の週末は眺める勉強!
ヘビーな授業は欠かさず予習する!
九大戦後の試験までに絶対に単位とるぞと気合を入れ直す!
12月北海道合宿までにもう一度身体を作り上げる!
1人でトレーニングしないで励ましてもらう!
スキーは九大戦GS・SL二冠!
総合3位以内!
インカレ3部GS・SL入賞!
大関をさらにしごく!
7年目のスキー人生、もう一度「両立」を追求しにいきます
勉強時間が終わったら「スキーうまくなりて~」、
トレーニングが終わったら「知的な男になりて~」
そう心がけてます
今度こそはマジで熱い冬学期にします!
以上わたくしとりやべの冬学期の宣言で閉めたいと思います