限りなくネイビーに近いブルー
お疲れ様です。最近アド街で川越の特集をやっていて見てたら非常に行きたくなってしまった1年生AL,兼マネージャーが九大戦の、特にアルペン部門について書かせていただきます。川越っていいですね。小京都っていうんでしょうか、近場にこんな風情がある街があったなんて全く気付かずこの休み中には絶対に足を運ぼうと思っております。誰か行きましょうね?僕のオフは非常に長いのですよ。
本題に入る前になぜ私がAL兼マネージャーになって選手として今シーズン終了したかについてなるべく手短に書かせていただきます。12月にAL部門は朝里川温泉で練習していましてその練習日の最終日22日、ゲート練最後の一本にて最終旗門で転倒してしまいました。その際にエッジがもふもふの新雪にびちっと嚙んでしまい、足がビーンとのびてそのままぐるっとひねった感じだと思います。ごめんなさい、ケガした側は往々にしてあまりその場面というものを認識していないものなのです。でも転んだ刹那、なんかまずい気がする、という感覚は本能的に浮かんできてその場で自力では立てない、ということがわかったとき確信に変わりました。その節は僕を運んでくれた幸先輩、東北大の山田氏、もろもろの手配をしてくださった今日子先輩、ありがとうございました。
その後東京に帰ってMRIをとった結果、内側の靱帯が切れているということがわかった、という次第でございます。今シーズンはあきらめたほうがいい、と言われたときは特になんとも思わず、またかあ(高校の時反対の左足のを切った)、とか、九大戦どうしようかな(意地でも出てやろうと思ってた笑)とかぼんやりと考えていて特に沈むこともなかったです。でも九大戦が近づいてLINEのやり取りがそれ一色になってチームの士気が高揚する中でああ、自分は限りなく役立たずでありお荷物でしかないのだなあ、という考えが強くなり強烈な鬱に襲われていきました。
この際暴露させていただくと個人的には野沢に行きたいとは思っていなかった。直前まで。だって行ったって足の不自由な自分はいるだけでチームの行動に支障をきたすだろうし何より出られない、ということをまざまざと実感するのは限りなく嫌だった。ただ自分の家は今年たまたま喪中で正月や年の瀬を何かする、ということもなく家族は皆北海道に帰省してしまう、そんな状況下で家で孤独に過ごすよりは行って皆と過ごそう、まあアルペンの板運びくらいならできるかな(ノルのサポートは知らん)、という安易な考えで野沢にinnしたに過ぎなかったのです。
まあ自分の振り返りはここら辺にして本題のアルペン部門の活躍について書かせていただきましょう。
アルペンの初日は12月30日、GSから始まりました。全国的に雪が降ってきているのに野沢はなぜか少なく、カンダハーは使えないとなってパラダイスで行われました。まず1本目、インスペクションをしていないので何ともいえませんが結構素直なコース、というのが上から素人目に見た感想です。緩斜面でクローチング組んでしっかりと体を回さずに踏んでいったらそこそこいけそう、という感じだったと思います。われら一橋アルペンで先陣を切ったのは今日子先輩でした。そして希、幸、久士先輩と続いていきました。個人の滑りについての感想は各人に任せるとして、やはり幸先輩はさすがでございました。見事1位です。何よりすごいなと思ったのはクローチングを組んでいる中で大きく下半身を巧みに動かしているところです。何としても見習いたいところです。ですがその1本目が終了して2位と0.04秒差、、、しびれましたね。すごい極限のスポーツだなと実感しました。そして運命の2本目、応援メンバー全員が息をのむ中、見事圧巻の滑りを披露してくださって、幸先輩、優勝でした。かっこよかったです。僕はお祝いにキャラメルコーンを一個献上しました。
さてアルペン2日目は1月1日、SLでございます。またしてもパラダイスで行われました。コースの印象は1本目、2本目ともまあまあ振っているな、という印象でした。自分はSL大嫌い人間なので特にコメントすることがないのですがこの日はOBの大関、葵先輩が応援に駆けつけてくれました。声援がまして選手の皆さんは思う存分力を発揮していたと思います。リザルトは別リンクからご参照ください。
さてアルペンの振り返りはこんなところです。ほかの部門は皆さんが書いているのですが1つまだ書いていないところがありますね、コンバインドです。そのうち書いてくれるとは思うのですが簡単に同期の海斗の活躍を書きたいと思います。彼はすごいですねえ、クロカンでも上位に食い込み、スぺジャンでは新人賞、見事というほか言葉が見当たらないです。1年生の中で一人だけ20メートル越えのジャンプをして下で見ていて感動しました。これから一橋コンバインドを引っ張っていくことを願っています。
さてこんなところで競技的な側面の振り返りは終了にさせていただきます。ここからは個人的な振り返り。だらだらと他愛のない、それか沈むことを書くのでそれでもいいよ、という方だけご覧になってください。
さて野沢温泉、個人的な印象は70点というところです。まず道が狭く危なっかしい。あと非常ににリフト券代が高い。これは対象を外国人に絞ったビジネスなのでしょうがないのですが学生にはきついですね。あと宿からスキー場まで距離がある、というところもなかなかです。あと少々雑多です。潔癖症にはつらいところでした。それでもいいなと思うのは温泉のおかげです。バリアフリー対応が悪いのですが入ると長時間ぽかぽかしていてすごいな、と感じました。
部屋ではテスト期間真っ最中の法学部生二人の時間が長かったです。幸先輩は忙しそうでよく外出していらっしゃたので。僕ら考え方が似通っているところが多くて結構仲いいんですよ。来月一緒に寿司食べに行くの非常に楽しみです。30皿食べると聞いたので沢山持って行かなきゃな笑。
さて話をちょこっと戻してマネージャーとしての自分について書かせていただきます。私は私生活において人への気遣いに人一倍神経をとがらせています。まず自分が考える理想というのが他人に絶対に迷惑をかけない、ということでそしてその人が自適に過ごせるように何ができるのかというのを考えるのが好きです。だから基本的にお礼とかをされると不思議な感覚に陥るのです。まあ奴隷根性なのは環境のせいにしておきましょう。
そんな中で今回の九大戦、私は終始苦々しい思いでした。エクシーガの助手席を先輩を差し置いて行きも帰りも座り、そしてうとうとし、宿についてからも移動はすべてエレベーター、食事はすべて配膳を同期と先輩に委ね、水のおかわりまでも先輩を頼り(これが一番きつい)、スキー場に行くまでゆっくりと歩いてもらい、、、例を挙げだしたらきりがないですね。やっぱり来なければよかった、と思わなかったといえばうそになるでしょうか。それでも何としても役に立ちたいと思い何ができるだろうと考えた私は競技のサポートしかないと考えました。
サポートというのはまず応援、ビデオ、上着の預かりくらいで何ということもないし誰にでもできる業務です。特にアルペン畑から来た私は応援の効能についてやはり疑義がありました。なぜなら極限の集中下においてアルペンでは競技中もましてやスタートにおいても全く応援を聞くことがないと個人的には思っています。そう思っていてもやはり自分にできることは応援しかなかった。書いててきついですね笑。恩着せがましいのは大嫌いなのでその手のアピールは避けたいのですが少しは役に立ったでしょうか…?ビデオもなるべく全員のを撮ろうと思っていたのですが、全員分撮れていないのは本当に力量不足でしかありません。申し訳ありません。それでもこれからの滑りに、ランに少しでも役に立てばと思います。
今私は非常に鬱に近く、この怪我は天が自分に与えた引導なのかな、とか考えてしまいます。だって2回目ですよ?さすがにトラウマにもなりますしせっかくのシーズンが始まったのにもう終了するという事実に立ち向かうことができなくなります。だからといってこういうことを書いてみんなに分かってもらおうという自分のあさましい、見苦しい深層心理に辟易するものがあり、自己嫌悪に陥ります。書いててなんて情けないのだろうと思います。
でもそんな自分が何とか気力を保っていられるのはなんとクロカンのおかげなんですよ。おまえここでクロカンに浮気するんかい、と思った方、申し訳ないですね私浮気性なもので。かれらの何が心にぐっと来たかはやはりその競技にかける思い、そしてそのやり切った後のすがすがしさです。本人たちが何を考えているかを憶測でものをいうのは失礼にあたるので控えますが、大会前は笑顔でいても終わったら死ぬほどきつそうで、悔しそうな顔をしていてそれが美しく、かっこいい。尊敬の念しかありません。
さすがに長すぎるのでこの辺で終わりにします。長々と面汚しが失礼いたしました。もうこれからの自分のことはどうなるのかわからないですが将来のことを考えるのなんて鬼が笑うことでしょう。とりあえず前を向いて歩いていきます。手術は…考えます。自然治癒にしたいので。リハビリ頑張っていきます。何とかインカレ、それが無理でも岩岳に間に合うように調整していきます。逃げないでやっていきます。以上です。
PS,佐々木さん、ミドラーありがとうございました。私は着るに値しない人間かもしれませんがそれでも頑張ります。
PS,そのあとの幸先輩の言葉、「お前4年間やめられなくなったじゃん」←どうしよう…
PS,最近聞く音楽で絶対最初の曲がセカオワの銀河街の悪夢でなんかまずい