部室から始まる法哲学
こんなことを書くと、合宿に入っている部員から怒られそうですが、レポートに追われつつも久しぶりに週末を東京でのんびり過ごしました。ささやかな日常に学生であることを感じます。来週からまた週末スキーが始まります!
さて今日は雑巾5枚の殉職を出しながら部室を掃除しました。最近はアルペンがやれ狭山だの、やれ軽井沢だの、少し汚しすぎましてたからね。
来年にはスキー部絶滅危惧種に指定されそうな法学部生としては、最近、部室を見て思うわけです。
きれいかどうかが問題ではない。幸福追求権が侵害されていないかが問題だと。
ここ2ヶ月自宅の机が学習できる状況になく図書館に通っている僕が部室を汚いとなぜ思うのか。
きれいさが満たされていないからではなく、幸福追求権が侵害されているからである。
部員誰もが持っている部室で快適に有意義な生活を送る部活版幸福追求権を侵害されていると感じると「部室が汚い」と感じるのだろうと思います。
ようは、きれいにしようとするのではなく、他人を不快にしないようになったって心掛ければいいんですね!
他人を具体的に想定できたらより良いのではないかと思います。
部室だけではないですね…何でも…
個人的には最近メールにタイトル付けるように心掛けています!クレームが来たので… 少し手遅れでした。。タイトルを付ける手間と相手が感じる不快感を比較衡量すれば自ずと行動が決まってきますよね
対処療法的ですが、この先輩はこれが嫌い、あの先輩はあれが嫌い、あいつはそれが嫌い、というのを結構覚えています。
同じ釜の飯を食い、一つ屋根の下で暮らし、お互いそこそこ嫌がらずに生活出来れば、少なくとも上辺のチームワークができるのではないでしょうか。
部室掃除もなかなか哲学的なイベントですね。
明日はきれいな部室でビデオミーティングしましょう!
合宿組は頑張ってください!!
ポール用のフラッグを作りながら、3年、石戸谷
コメント
幸福追求権ちょっと意味が難しいですね。部室で寝泊まりしている部員もいるような、ようするにスキー部の皆と部室で過ごす時間が快適な時間って事ですかね~?