スキージャンプ
お疲れ様です。影山です。2/24のブログです。
まずはリザルトから
男子2部スペシャルジャンプ
http://www.isj.gr.jp/info/wp-content/uploads/2022/02/男子2部SJ公式記録.pdf
女子2部スペシャルジャンプ
http://www.isj.gr.jp/info/wp-content/uploads/2022/02/女子2部SJ公式記録.pdf
男子2部10kmクラシカル
http://www.isj.gr.jp/info/wp-content/uploads/2022/02/男子2部10C.pdf
女子2部5kmクラシカル
http://www.isj.gr.jp/info/wp-content/uploads/2022/02/女子2部5C.pdf
女子2部GS
http://www.isj.gr.jp/info/wp-content/uploads/2022/02/女子2部GS.pdf
スペシャルジャンプ、優勝!正直言うと表彰式出るまで信じられなかったです。はい。でも本当に優勝したみたいです。率直な感想としては、何も言えないくらい嬉しいです。ずっと目標にしていた順位、相手。1本目を終えた時点で、飛距離の差は1M、しかし、テレマークの有無で合計のポイント差は、4.8ポイント。単純な飛距離にすると1.5〜2Mの差、正直厳しいと思っていました。でも、電光掲示板を見ながら「いやぁ、、、」と言う僕に江原は「良いところにつけたね」と言いました。この言葉で何というか全部リセットされました。それからの記憶があんまりなくて、よくわかりませんが、そこからはすごく集中してました。本当に覚えてない。毎日ストレッチしながら見てきた2018-2019シーズンの小林陵侑のハイライト動画とその動画内の音楽だけが頭の中を流れてたこと以外は覚えてないです。あとは、飛び終わって試合が終わって電光掲示板の順位が入れかわってて、いろんな人と喜び合ってました。最&高な時間でした。江原と抱き合ってた時間が忘れられないです。身体中の力が抜けそうでした。最高でした。
その後もITO塾のコーチたちと抱き合って、泣き合いました。泣き合うってどうゆうことかわかりませんね。みんなで泣きましたと言うことです。2年の5月に飯山シャンツェのスモールヒルで出会ってから2年9ヶ月、ひたすら膝伸ばせと言われていた頃からずっとジャンプの動画を送り続け、何も変わってないのに毎回既読がついてから長い時間動画を見てくださり、いろんな表現でアドバイスをもらい、実践してみて、できなくて、他の表現をしてもらって、またできなくて、ずっとそんなことを繰り返してきました。ジャンプ台だけじゃなくて彩湖でもトレーニングをして、斑尾でクロカン板でジャンプの練習をしたりもして、お酒飲みながらジャンプの話したり、動画見たり、武勇伝聞かせてもらったりして。正直に言うと、最初出会った頃は僕よりもコーチたちの方がジャンプに対して熱があり、引っ張ってもらっているような、鼓舞されるような感覚でした。一緒にいる時間が積み重なるにつれてどんどんジャンプが好きになっていって、良いジャンプして恩返しをしたいと思うようになりました。赤の他人だった大学生の大会を見に、秋田まで来ちゃうくらい僕らのことを思って、気にかけてくれて、応援してくれた、ジャンプが大好きなコーチ達に最後に最高の結果を、ジャンプを見せることができたこの日は一生の思い出になりました。
(懐かしい)
そんなコーチ達と出会えたのは間違いなく江原のおかげでしょう。江原がジャンプに転向していなかったら、今の影山はいないし、今のジャンプ・コンバインド部門もないし、ITO塾とのつながりも、そこから派生した各地のジャンプ関係者との関係性も全て生まれなかった。だから、現一橋大学体育会スキー部ジャンプ・コンバインド部門の創始者は江原なんです。僕が1年の時に飛び始めたのは、実際の始まりではないんです。野球で例えたら、地元のチームに入る前に父親とキャッチボールをしていたレベルの段階、それが江原が転向してきてくれる前の影山でした。それと、スポーツを楽しみながら練習する上でも江原の存在は非常に大きかったです。行き帰りの車や練習の合間やごはんの時にいろんな話をしたり、山の湯のお風呂を流れるプールにして遊んだり、ジャンプ台でお昼寝したり、ジャンプというより合宿自体が楽しくて毎週のように飯山に行っていた時期もありました。オフな時はオフだけど、練習中は真剣に自分のジャンプを改善する、お互いのジャンプを見て思うことを言い合う。最高で最強な相棒でした。ライバルとしての江原が存在したことも僕をめちゃくちゃ強くしてくれました。勝ちたいっていう気持ちが出過ぎてよくわからん態度の時もあったと思うけど、最後まで一緒に戦ってきてくれて本当にありがとう。卒業してもいくらでも何回でも同じ話しながらお酒飲もうな。本当にありがとう。めちゃくちゃ楽しかった。
僕の4年間のジャンプ人生を変えた人の中には、小林陵侑もいます。いつでも楽しそうにジャンプしている姿、圧倒的に美しい飛型、ランディング、いくらでも見ていられました。さっきも書いたんですが、2018-2019シーズンのハイライト動画、YOUTUBEにあるんですけど、17分ぐらいあるんですけど、まじでカッコ良すぎて1日に何回でも見れて、何回見ても飽きなくて、毎日見てました。使われてる音楽をプレイリストに入れて無限再生しちゃうくらい最高の動画です。僕にとっては、スキージャンプの教科書というか聖書みたいな感じです。これ見ればどこまででも飛んでいけるような、そんな感じがする動画です。リンク貼るので是非見てみてほしいです。前に飛んでた時に考えてた、このジャンプ台は好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか、そんな考えは余裕で捨てさせられます。どのジャンプ台でもビッグジャンプして優勝してるんですもん。こんなアマチュアな自分がどの台が好きでどれが嫌いなんて言ってらんないなってなりました。まだジャンプ選手としての時間がある人も、そうでない人も、ジャンプの動画なんて見たことないよっていう人も騙されたと思って見てみてください。毎日ジャンプしたくなったり、ジャンプ始めたくなったりします。
(そうなっても責任は取りません。毎日ジャンプしちゃってください。)
(リンク:https://www.youtube.com/watch?v=Q6kT9tVuFUU)
(1曲目の『The Fear』っていう曲めっちゃ好き)
ジャンプ・コンバインド部門の4人ももちろんジャンプ人生を変えてくれました。江原はもちろん、けんちゃんとあやなの存在もめちゃくちゃ大きかったです。3年の時に2人がジャンプを始めてくれて、ここまでついてきてくれて本当に嬉しかった。3年の時は前にブログでも書いたけれど、怪我から始まったシーズンで、ひたすらモチベーションとの勝負でしたが、二人の一年生の存在が間違いなく僕をやる気にしてくれました。江原と共にカッコ良い先輩2人でありたい、2人をカッコ良いジャンパーに育てたいという気持ちで3年生の時の影山は競技を続けていられました。江原が転向してきてくれた後に、僕の心の中で密かに持っていた野望に、『ジャンプの一橋』と呼ばれる時代を作るというものがあり、あんまり口にはしていなかったのですが、その野望は4人でかなり形作ることができたと思います。そして二人がもっともっと強いチームを作っていってくれると思っています。あと2年間、長いようで短いようで長いけど短いから、そのつもりで、本気でライバルたちに勝ちに行ってほしいと思います。僕と江原の子供達だから大丈夫だと信じています。心強いITO塾の叔父さんたちもついてます。大丈夫です。本気で、楽しんで、飛びまくってほしいです。九大戦見にいくのが楽しみです。
(懐かしい)
ジャンプについて書く最後のブログかもしれないので、改めて言わせていただきます。いつでも快く指導をしてくださったコーチの皆様、他大学の後輩である僕をたくさんお世話してくださったカッコ良い先輩ジャンパーの皆様、各地のジャンプ台関係者の皆様、各地の宿の方々、ずっと一緒にジャンプしてくれた同期ジャンパーの皆、これからもっともっと活躍していく後輩ジャンパーの皆、本当にありがとうございました。また、お会いできることを楽しみにしております。(もう飛ばないですけどね。)
JP・NC 4年 影山睦