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スキーって楽しいんよ

お疲れ様です。

大関です。

 

長らく書いておりませんでした。前回書いたのは北海道の朝里でのブログになるでしょうか。去年の12月末ということで年を隔てているのでかなり昔のような気がします。

というかこれが新年一発目?すでに2月なのですが。

 

あー、青森で一回も書いてないなそういえば。

やばい、ゆきの先輩に怒られちゃうよ。

 

 

まあいいかな。許してね

 

 

今回ブログを書くのは、九大戦の振り返りをするためですね。

正直書かなくてもいいかなあ、あんまり書きたくないなぁ、と思ってしまい、他大も含めて同期がぽつぽつと振り返りを行っている中、さっぱり筆がのりませんでした。

でもこのまま振り返りをせず、だらだらと想いを引きずりながらインカレに入ったところでいい結果を残せないどころか、大きな悔いを残すことになると思いました。自分の人生に間違いなく大きな影響を与えたスキー部という素敵な思い出に、最後に後悔という泥を塗って終わりたくはなかったのでここで気持ちをしっかりと整理しておきます。

 

 

先に断っておきますが、このブログは読んでも何も前向きになれないし、面白くもないです。自分で抱え込んでおくには後ろ向きすぎるし、他人に話して一緒に背負い込んでもらったりするにはあまりにも個人的すぎるので、自分がすっきりするためだけに書いています。

だからたとえ読み終えても「ふーん。おもしれー男。」程度の感想にとどめておいてもらえればいいなーっておもいます。

 

 

まあ読む必要はないですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも長いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文章力ないので読みづらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも読んでくれる人がいるなら、ありがとう。

もらいネガティブになっちゃったらごめんなさいね。

 

 

 

 

 

影山みたいな改行しちゃった。ずるいのでやるまいと思っていましたが、不覚です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年の九大戦はSL、GS両種目とも最低ポイント、目指せ幸君とのワンツーフィニッシュ!というものを掲げておりました。蓋を開けてみれば、自分が「最低」と設定した目標すら達成できず、ノーポイントで締めくくられることになりました。それぞれの種目が実際どんな結果だったのかはここからちょっと書いていこうと思います。

 

 

最初の種目はスラロームでした。

はっきり言って思い出したくもありません。結果としては、リザルト上ではDNFという扱いにはなっていますが、中身を見てみると最悪でした。

一旗門目から片足旗門不通過。これでも4年間レーシングスキーをやってきた身ではあるので様々な失格を経験してきましたが、さすがに初めての経験です。とはいえ、それが一旗門目だったというだけで、こんなミスはよくあることです。本来ならばすぐさまその場でスイッチバックするべきでした。例え巻き返すのが難しいことであっても、2本目につなぐ事が重要でした。でしたが、気持ちが切れてしまいました。

 

自分はこれまで様々なところでスラロームが得意だと息巻いていました。インカレや岩岳でも、少しずつでも希望が持てるほどに大会順位を上げてきました。今回の大会でも、最悪GSの結果が悪くてもSLなら絶対にポイントが取れる、去年は叶わなかった、仲間と一緒に表彰台に立つという夢がかなえられる、4年目にしてやっとチームに貢献できる、そう思っていました。そう思っていたからこそ、というかその思いが強すぎたからこそたった一つの些細な失敗で最後まで走りきる気力を失ってしまいました。

2本目に残したところで、スイッチバックしたことによるタイム差を埋めきることはできない。ポイントも取れないような結果なんてものは、リザルトに残す必要はないと一瞬で悟ってしまい、あきらめたのです。

 

今にして思えば、レースの結果云々よりもその時の僕の心意気と態度の方が、未だ心に引っかかっている原因なのかもしれません。これまで育ててくれたコーチや先輩方、寒い中わざわざ応援のために会場まで足を運んでくれた先輩や後輩達、何より、4年間一緒に歩んできて期待をしてくれていた同期達への申し訳なさと不甲斐なさでいっぱいでした。

なんてなさけないのだろう、と。なんとために野沢温泉にまで来て、この場に立っているのだろうか、と。

 

かくして、心がぽっきりと折れた状態で次のGS種目を迎えることとなりました。

 

 

 

GS種目。2本目まで完走さえしましたが、結果は13位。合計タイムで幸に2秒差以上をつけられ、当初最低の目標としていたポイント獲得にすら結びつかなかった結果になります。

滑りの反省はもちろんありますが、これは自分の実力不足として片づけました。

本音を言えば、直前のトレーニングでの感覚としては結構よかったと思います。それでも本番ではあの程度の滑りしかできなかったのは悔しいです。本当はもっとうまく滑れるのにって。でも結局僕らがやっているのはレースなので、本番での2本が全て。いくら練習がうまくいっていたとしても、本番で自分の力を発揮できないのであれば実力もそれまでということになります。残酷だなとも思いつつ、そんな競技を好んでやっているのは自分なので甘んじて受け入れました。

 

 

このようにして、両日共に自分が立てた目標からは程遠い結果となり、九大戦は終了しました。チームの結果としては、女子総合準優勝、男子総合第3位、男女総合準優勝という近年稀に見る大健闘で、大変喜ばしいものでした。同期も後輩も着々とポイントを重ね、練習の成果を発揮しきれた部員が多かったのも嬉しいことです。

 

ですが、その中で自分はノーポイント。

 

 

アルペンは4年生になっても活躍するのは難しいよ。これは1年生のとき部門決めをするときに先輩に言われていたことでした。

競技特性上経験者の層が厚く、4年間頑張っても初心者からのスタートでは難しいものがある。それがわかっていて、競技層がアルペンに比べたら少なくて、結果を出せる可能性が少しでも高いノルディックという選択肢があったのにも関わらず、僕はこの種目に4年間をささげようと決めました。

 

それから少しして、ノルディック不足によるインカレ3部降格という現実を見て。

自分がノルディックをやっていればこんなことにはならなかったのかな、この先スキーを続けていった先も同じことで後悔するのかな、そんなことをこの時も、その後のいろんなタイミングで何回も思いました。

それでもアルペンスキーが好き。この競技を4年間やり通してみたい。行けるところまで行ってみたい。そんな想いを抑えることはできず、いっちーや江原がチームのために部門替えを決意したときでさえ、ぼくはアルペンに留まりました。他にもアルペン部門員が急激に減って実質活動人数一人になってしまうから、みたいな理由もありましたが、真っ先に部門替え人員に立候補することができなかった心情はアルペンへの執着があります。

そんな自分勝手を押し通した自分ですが、そのときにアルペンを続けていくにあたって、「大関がアルペンにいてくれてよかった。」と思ってもらえるくらい、自分の選択は正しかったんだと思えるくらいうまくなることを心に誓いました。

練習や大会でうまくいかないことがあっても、チャンスは4年まであるんだと思えばなんとか気持ちを安定させることができていました。

 

 

それが4年目のもう後がない状況で、チームに貢献どころか、おんぶにだっこです。自分は何もできず、ただ乗っかっているだけなのに一橋スキー部に在籍しているということだけで、まるで一緒に勝ち取ったかのような状況になっているのがとても苦しかったです。

 

今回の部としての結果は本当に快挙で、頑張った皆が本当にすごくて、本当にうれしいこと、だったはずなのに、素直に喜べませんでした。初心者から始めた影山が圧倒的な大ジャンプで優勝、コンバでも準優勝という4年目にふさわしい大成功を収めて、同じアルペンの幸も優勝、準優勝としっかり結果を残して。それなのに心の底からおめでとうが言えなかった自分のことが心底嫌いになります。

 

そんなもやもやした気持ちで野沢温泉を後にしました。

 

 

 

 

その後一旦のオフをはさみ、青森合宿に参加しました。

それでも気持ちの整理が追い付かず、いまいち気乗りせず、「あーあんまりスキー楽しくないなぁ」とか思って漫然と滑っていました。あじゃらカップにも出場しましたが、レースなんてもう出たくないなあ、でもインカレの練習のために一個くらい出ておいた方がいいなあなんて、ものすごく後ろ向きな姿勢で出場しました。

そんな気持ちはスキーの神様に見透かされていたのか、あじゃら直前の練習で転倒時に足首を捻挫してしまい、それゆえの恐怖心がでてしまったのかレースはDNFという結果に終わりました。

 

 

なんだかなあと思いつつ、怪我をしてしまったのでそれの療養のためにしばらくスキーは控えて、ビデオ撮りに徹しつつスキーのことをあんまり考えないようにしていました。そうすると不思議なもので、体が勝手にうずうずしてくるんですね。あースキーやりたいなぁとか、あの癖直すにはこういう身体の動かし方すればいいんじゃね?とか。

その時気づいたのは、いつからか結果を残さなくてはならないという大義ばっかり気にしてあんまりスキーを楽しんでこなかったなということです。

 

多分今回みたいに心がすさんでしまったのは、使命感みたいなものが先走ってばっかりで自分に過度に期待しすぎていたからなんだと思います。純粋にスキーを楽しむのではなくて、スキーを手段にして過去の自分の選択に正当性を見出そうとしていたのだと、今にして思えばわかります。

だって一年生の時は疲れなんて知らずに、朝イチからリフトが止まるまで滑っていたもの。もっとうまくなりたい、もっとスキーしていたい、楽しいって。

 

スキーあんまり楽しくないからかな。今はレースに出るのが怖いです。

ここで結果残せなかったら、野沢まではなんとか耐えられていたのが今度こそ無理になってしまうんじゃないか、これまでお金も時間もあらゆるものをつぎ込んで積み上げたものに何も意味がなくなってしまうんじゃないか、そう思ってしまいます。

でも、競技を楽しむという一番単純でかつ大事な動機を忘れてしまっていたことに気づけました。

 

 

 

だからここらでいっぺん心機一転、結果に執着せずにスキー楽しんでもいいですか?

いままで好きにやってきて何を言っているんだ、恩返しはどうした、自分が決めた誓いを破るのか、結果を求めないで何が体育会だ、様々気になるところはあると思います。

 

それでもインカレと岩岳が学生最後のレース、ひょっとしたら人生最後のレースになるかもしれません。だから最後は純粋にアルペンスキーを楽しませてほしいです。

スキー部の君たちへのお願い。

 

アルペン始めてからずっと自分勝手でしたけど、ごめんね。

だってスキーが好きなんだもの

 

 

 

 

AL4年 大関

p.s. 明日DHのレースだー。なんか飛ぶところあるし、スピードありえんでるし怖すぎてワロてる

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